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札幌地方裁判所 昭和51年(わ)556号 判決 1977年1月18日

主文

被告人は無罪

理由

一本件公訴事実は、「被告人は、昭和五〇年三月ころ氏名不詳の男と情交して妊娠し、その事実に気付かないまま、同年八月ころから、札幌市北区新琴似四条八丁目一九九番地の二五石井勝雄方において、小幡清と同棲し、同年一〇月上旬ころ妊娠の徴候を自覚したものの、同人に対しては同人の子であり、すでに中絶した旨申し欺いていたものであるが、昭和五一年一月一一日午後八時三〇分ころ、前同所において、陣痛をもよおし出産の時期が迫つたことを知るや、右出産によつて他の男との情交関係のあつたことを知られ、同棲解消の事態に至るべきは必至と考え、同人との同棲生活を継続するためには胎児を便槽に産み落して殺害し、出産の事実及び氏名不詳の男と性交して妊娠した事実を同人に秘匿するほかはないと決意し、即時右石井方一階便所において、その便槽内に胎児を産み落し、よつて右新生児を右便槽内において溺死させて殺害したものである。」というのである。

右公訴事実のうち、妊娠した時期および妊娠から分娩にいたるまでの経緯が公訴事実記載のとおりであつたかどうか並びに殺意の有無の点は別として、被告人が同記載の日時に同記載の便槽内に胎児を産み落とし、右新生児がまもなく溺死したことは、被告人および弁護人においても争わないところであり、かつ関係証拠上も明らかである。

まず殺意の有無についての判断に先立ち、被告人の経歴、被告人と公訴事実記載の小幡清、その他の家族との関係、妊娠の時期、妊娠から分娩にいたるまでの経緯、分娩時の状況などを概観すると、<証拠>を綜合すると、次のとおりの事実が認められる。

1  被告人は今野弘次郎と同マサ子の間に生れたが、その後まもなく両親が離婚し、母マサ子が被告人を連れて石井勝雄と再婚したので、以後被告人は石井勝雄の養女となつたこと、しかし被告人と養父との間には余り親密な感情が育つにいたらず、母も、被告人の小学校六年生のころ、交通事故にあい、以後頭が正常でなくなつたため、被告人の相談相手にならなくなり、被告人は勝雄の母キクヨに面倒をみてもらうなどして成長したこと、被告人は昭和四七年三月札幌市内の中学校を卒業したのち、内科・小児科医院の看護婦見習を一年ほど勤め、その後は菓子店の店員、喫茶店のウエイトレスをし、次いで昭和五〇年八月から同市内の「おしぼり」の包装・運搬を業とする会社に勤務して現在にいたつていること、

その間、被告人は、二、三の異性と交渉をもち、昭和四八年ころ、一度妊娠したこともあるが、その際は中絶手術を受けたこと、その後、被告人は昭和五〇年六月ころ、大学生である小幡清と親密な仲となり、公訴事実記載のとおり同年八月から同人と将来結婚する約束で、同記載の養父石井勝雄方の二階の一室で同棲するようになつたこと、

2  被告人は小幡との同棲後、妊娠の徴候に気づき、同年一〇月二日、小幡と相談のうえ中絶手術をうけるつもりで同市南区真駒内所在の前口産婦人科医院を訪れ診察を受けたところ、妊娠六ケ月に達していて中絶手術は危険であるといわれ、手術をあきらめて、帰宅したが、小幡に対しては中絶手術をうけてきたように告げていたこと、右胎児の出産予定日は、被告人が右医院において最終月経を同年四月二六日から一週間と述べていたこと、被告人が同年五月中工藤某という男と情交関係をもつたことがあることなどにより医学上、昭和五一年二月二日と算定されるが(鑑定人の供述参照)、被告人自身においてもその出産予定日を同年一月下旬ないし二月上旬ころと考えていたようであること、

3  被告人は、前記のとおり妊娠中絶手術の機会を失い、従つて早晩出産を覚悟しなければならなかつたが、ベビー用具を購入するなど出産の準備として必要なことは何一つしておらず、小幡やその他の家族に対しても妊娠の事実をかくしつづけていたこと、このような経過のすえ、被告人は、昭和五一年一月七日ころから、帯下の色が変化したりした事実に気づいたが、その後も普通の生活を続けていたところ、同月一〇日の夜ころから全身の倦怠感を覚え、翌一一日夕方ころから腹痛を覚えはじめたこと、

ところで同日は日曜日であつたので、被告人は朝からその居室でレコードを聴いたり、または買い物に出かけたり、夕方には夕食の仕度をしたりしていたが、右のように腹の具合がわるかつたので夕食をとることをやめ、小幡やその他の家族と離れて一人で二階の居室で休んでいたこと、この腹痛の原因について、被告人は日頃から度々経験していた便秘による痛みでないかと思うとともに排便感を覚えたのでそのころから二回ほど階下玄関脇の便所(汲み取り式)へ行つたところ、その都度少量づつであるが排便をみたこと、排便によりいくらか腹痛のやわらぐのを感じたりしたが、午後八時半ころまた腹痛が激しくなり、かつ排便感を覚えたので、もう一度(三回目)便所に行き、排便しようとしていきんだところ、意外にも出産がはじまり、まもなく胎児の娩出が完了し、新生児は便槽内に落下し、前記のとおり溺死したこと、被告人において三回目便所に行き便器に跨つた時点では、右のように直ちに出産がはじまるというほど出産の切迫していることについての認識はなかつたこと、

4  被告人は右分娩に際し、頸管裂傷を負つて相当多量の出血をし、一時貧血状態を呈したが、その後、二階居室に戻つて下着を取りかえ、次いで階下台所へ行つてバケツに水を汲んできて出血による便器の汚れを洗い流したうえ二階居室に戻つて就寝したこと、当時、小幡その他の家族は、階下台所兼居間の便所と反対側にある隣室で宗教上の行事を行つていたので、被告人の分娩に気づかず、ただ同日午後一一時すぎ、小幡が二階に戻つた際、被告人は同人に対し流産した旨告げたので、同人はそのように信じていたこと、本件が発覚したのは、同月二〇日同家便所の汲み取り作業をしていた者が同児の死体を発見して警察に届けたことによること、

なお同児の死体には、発見時、長さ約53.5センチメートルの臍帯が付着しており、その断端の状態は、いわゆる墜落産などの際にみられる自然断裂の様相を呈しており、少なくとも被告人がこれを手でもぎとつたりしたなどと確認することはできないこと、

以上のとおりの事実関係であることが認められる。

二そこで右分娩の際、被告人に公訴事実記載のとおりの殺意があつたかどうかについて検討する。

1  本件各証拠を通覧すると、この点についての直接の積極証拠としては、被告人の検察官に対する昭和五一年六月八日付、同年同月一〇日付(七枚綴りのもの)各供述調書があるのみであり、これによると、被告人は、三回目に便所に行き便器に跨つたところ、四分くらいたつた時に下腹部が下に引張られるような感じがし、その時はじめて出産がはじまろうとしているのに気がついたこと、それで一旦大声をあげて小幡やその他の家族に助けを求めようとしたが、そうすれば、小幡に自分が他の男の子を産んだことが知られ、同人と結婚できなくなるであろうし、また養父は自分のことに無関心で自分の出産を手伝つてくれそうもないし、さらに義祖母も八〇才近くになるので肉体的に自分の出産の世話をしてくれるだけの能力もないであろうなど、あれやこれやの自分をめぐる人間関係を思いめぐらして、これを思いとどまり、結局結婚していない自分が子供を産んだことが近所に知られ養父や義祖母に迷惑をかけたり世間体の悪い思いをさせるよりは、胎児を便槽内に産み落して殺してしまつた方が良いと思つたこと、こうして下腹部が下に引張られるような痛みを感じてから約一分くらいたつてから胎児が産門から出始めたので、新生児が便槽内におちて死ぬのもやむを得ないと思い、そのままこれを便槽内に産み落した、という趣旨の供述記載がある。

この供述記載は、右に要旨を摘示したとおり、被告人が殺意を抱くにいたつた心理の経過を詳細かつ具体的に述べており、胎児の殺害を思いたつた動機の内容として述べるところも、前段認定の被告人と小幡やその他の家族との関係などに照応していて、その意味では不自然さはなく、一応これを信用してよいかのようであるが、次に指摘する諸点を考慮すると、右のように認めることについては種種の疑問がある。

すなわち、

(一)  右供述記載によると、被告人が殺意を抱いたという時期は、妊産婦として通常もつとも激しい陣痛に襲われる娩出期の際中であつたことになるが、すでに認定のとおり、被告人は、右娩出期に当面する瞬間まで出産の切迫していたことについての認識を欠いており、排便をすれば腹痛から免れうるように考えて排便しようとしたところ、意外にも胎児の娩出という異常な事態に遭遇したという経過であつて、このことに照らすと、常識的に考えてみても、分娩の経験もなく、思慮も心の余裕もあるとは思われない一九才の女性として恐らく著しい狼狽、驚愕の状態に陥つたであろうと思われる。このような場合、被告人が、右供述調書に記載されているような僅かの時間内に、様々な自分をめぐる人間関係の様子を思いめぐらしたとか、自分の周囲の者に種種の迷惑をかけるなどのことを考え、そのうえで殺害を決意したというようなことは、現実の心理の動きとして余りに冷静すぎ、真実性に欠ける疑いのあること、

(二) 常識的に右のような疑問がもたれるばかりでなく、専門家の見解も右疑問が相当の根拠を有することを裏付けている。弁護人の依頼に基づき産科の専門医として被告人を診察し、かつ本件分娩時の状況などを詳しく問診した鑑定人菊川寛の当公判廷における供述によれば、(1)一般に産婦は、事前に母親教室に通うなどして出産について正しい知識を学び、医師、助産婦などの介助をえて出産を行う場合であつても、娩出期の激しい陣痛と不安により著しい精神的混乱を来たす場合が多く、理性を失つた言動をすることも珍らしくないこと、従つて、本件被告人のように出産についての知識も経験もなく、心の準備もできておらず、医師などの介助者もない場合には、より一そう著しい精神的混乱に陥ちいるように思われるということ、(2)のみならず本件分娩は早産で、かつ通常の分娩に比べて著しく急速な娩出経過を辿つた異常なもので、いわゆる「進行早産」といわれるものに該当する疑いが強いということ、そしてこのような進行早産の場合には、突然子宮口が全開大して数分から十数分程度で胎児が娩出されてしまうことがあり、その際の陣痛は非常に激しいことが多く(過強陣痛)、娩出の開始とともに陣痛は急激なテンポで発作の間隔を縮めながら頻発し、ついに産婦自身無意識的にいきまざるをえない状態に陥り、産婦の全神経は専ら下腹部括約筋の動きに集中されてしまい、産婦において胎児が産道を降下してくるなどの事態を感覚上に受けとめることは殆んど不可能である、とくに本件においては被告人が便所内で排便のためいきんだ際に娩出がはじまつたようであるが、排便に使用される筋肉と胎児の排出に働く筋肉とは全く同一であり、かつこのような姿勢の下では普通一般の仰臥位の場合に比べ、娩出はより急速に行われ、従つて被告人がいきんだとたんに急激な陣痛が生じるとともに数分程度の間に胎児の娩出が完了し、胎児が便槽内に墜落してしまい、その間被告人が無我夢中であつたということも十分ありうるというのである。被告人の本件分娩が異常に急速な経過を辿つたものであることは、被告人の司法警察員、検察官に対する各供述調書ならびに被告人の当公判廷における供述によつても明らかであり、その他本件分娩をもつて進行早産に該当する疑いが強いとして同鑑定人のあげている種々の理由はいずれも他の証拠上認められ、同人の以上の所見ないし説明は十分合理的なものとして首肯するに足りるものと認められる。そして同鑑定人の以上のような供述内容に照らすと、被告人の検察官に対する前掲供述記載部分には重大な疑問が含まれているといわざるをえないこと、

(三)  被告人は、検察官の取調べの際には、殺意を認めたが、これを除くと司法警察員の取調べに際しても当公判廷においても強く殺意を否認し、なお検察官の取調べの直後、少年事件として家庭裁判所に送致され係官から事情を聴取された際にもこれを否認していたようである(被告人の当公判廷における供述参照)。このうち、被告人の司法警察員に対する供述調書二通を通覧すると、被告人は、要するに、前記認定の三回目便所に行く際には、当日の腹痛を陣痛でないかと思うようになつていたものの、便所に行けばすぐ出産がはじまるなどとは全く思つていなかつたこと、ところが便所に行き便器にかがみこむや否や、胎児が娩出されてしまい、「何がどうなつているのか判らない状態」に陥り、「どおしよう、どおしようと思うだけで」「腹は痛いし出血は止まらず、頭がボーツとなつて」しまい、無我夢中かつ茫然自失の状態に陥つたという趣旨の弁明を司法警察員の取調べに対しくりかえし述べていたものと窺うことができる。以上の弁明のうち、三回目便所に行く時点で既に当日の腹痛を陣痛でないかと思うにいたつていたかどうかの点は別として、少くともその時点ではまだ便所に入るや否やすぐ出産がはじまるというほど事態が切迫しているとは思つていなかつたという点については、前記のとおり被告人の検察官に対する供述調書中にもこれと同様の趣旨の供述記載があり(公判廷においても、もちろん同旨のことを述べている)、十分これを信用してよいように思われるし、また右弁明のうち後半の部分、すなわち、突然の胎児の娩出に当面して茫然自失してしまつたという趣旨の部分も、前掲鑑定人の供述によつて裏付けられており、このような場合における経験も知識もない産婦の異常かつ特殊な心理状態をほうふつせしめるに足るものがあり、その信用性は十分評価してよいように思われる。

(四)  被告人は公判廷において、前記検察官に対する供述調書の作成の経緯などについて、担当検察官から四日間にわたり取調べをうけ、最初は「絶対に殺すつもりはなかつた」と否認したところ、検察官は、「司法警察員に対する供述調書のとおりではとても納得がゆかない」などといつて自分のいうことを全然信用してくれず、そのうえ再三机を手でたたき、「本当のことをいわないと調書にとれない」、「何度でも取調のため呼び出す」などといわれたりしたため、「どうにでもなつてよい」という気持になつてしまい、それで前記のような調書を作成されてしまうことになつたとの趣旨のことを述べている。この点につき担当検察官であつた証人甲は当公判廷において、同人としては警察での取調べが肝心の殺意の有無について欠落していると考え、この点を重点的に取調べる方針を立て、四日間の取調のうち、当初の二日間は被告人が全く納得できない弁解をしたりしたので、つい感情的になつて机を叩くなどしてしまつたが、その後の取調においては、被告人が少年であることを考え、小動物の母性本能に関する話をきかせるなど、できる限り穏やかな方法で取調べその結果、前記供述調書作成の昭和五一年六月一〇日においては、驚くほど明るい表情で、素直にすすんですらすらと殺意の点まで自供するにいたり、同証人としても被告人が真実を話し更生する意欲を持つにいたつたものと考え、励ましの言葉をかけた趣旨を述べている。同証人の右供述に照らすと被告人の前掲供述には部分的に誇張や誤解の点が含まれているようであるが、しかし当公判廷における被告人の誠に寡黙な供述態度、とりわけ、弁護人の質問に対してすら再三誘導を受けてようやく最小限度の供述をするにとどまるという態度(証人小幡清の当公判廷における供述によれば、これは被告人の日常生活においても同様のものであることが窺える)に照らすと、甲証人の供述するように被告人が取調べの後半段階でいかに穏かに調べられたからといつて、それまでの否認態度を一変させ自己に不利益な事実をすすんですらすら述べたとはとうてい思われない。また被告人は当公判廷において、検察官の質問に対しては答えたくないとして、殆んど沈黙し、反感を示す態度に出ているが、もし甲証人の述べるように、被告人が取調当時心から反省し明るくすらすらと真実を語つていたというのであれば、何故公判廷において、検察官に対しこのような反発的態度に出るのか理解に苦しむところである。さらに該供述調書の記載内容は、事件発生以来右作成まで五ケ月を経過しているにもかかわらず、詳細を極め、しかも行動の理由付けや説明部分が多く、更に、法的評価を加えたことが一見して明らかな部分も随所に見受けられる。その上甲証人の供述によれば、いわゆる年令切迫少年であつたことから取調を急いだ事情も窺われるのであつて、他方、前記のとおり被告人が右調書の作成過程について供述するところは、右のような被告人の公判廷における供述態度、該調書の記載の不自然さ等を説明するものとして一応の合理性を持つており、あながち誇張であるとばかりは言えないように思われる。これを要するに、被告人の検察官に対する前掲供述記載は、その内容において種々不自然不合理な点を含む疑いがあるばかりでなく、その取調経過においても問題があり、被告人の真意に基づかない供述であるとの疑いがあり、その他被告人の司法警察員に対する供述調書や被告人の公判廷における供述内容とも対比すると、信用しがたいものといわなければならない。

2  殺意の点に関する直接の積極証拠の信用しがたいことは右に述べたとおりであるが、それではこの点を証明するに足りる十分な情況証拠があるかというと、本件に現われたすべての証拠をもつてしてもこれを肯定することはできない。

たしかに、本件においては、検察官が公訴を提起したのもやむをえないと認められるような、いくつかの疑わしい情況事実を指摘することができよう。例えば、

(一)  前記一で認定した事実およびそこに掲げた各証拠によると、被告人は本件分娩当時少くとも臨月に及んでいたという程度の認識は有していたと思われるのに前記のとおりなんの出産準備もしていなかつたこと、将来結婚するつもりで日夜起居をともにしていた小幡に対してすら妊娠中絶の機会を逸した事実並びに出産が迫りつつあつた事実を隠し続けていたこと、さらには分娩当日の腹痛の原因についても恐らく三回目便所に行く直前ころには、少くとも陣痛でないかとの疑い程度のものは抱いていたように思われ、そうであるとすれば今すぐにというほどでないにせよ、少くとも相当な時間経過後には出産するものと考えなければならず、従つて直ちに小幡らに対し卒直にこれを打ち明け、出産のための手配を依頼すべきであつたのに、これをもしなかつたことなどを考えると、検察官が論告で指摘したとおり、それは間もなく生まれいづる新しい生命を思わざるも甚しい全く無責任で投げやりな人格態度であるといわなければならない。しかしこのような人格態度から推認しうるのは、せいぜい殺人の動機の存在の可能性にすぎなく、このような事実から直ちに本件訴因で問題とされている具体的な殺人の故意と行為を推断することはやはり許されないであろう。

(二)  さらに分娩当日、被告人は夕方ころから午後八時半ころまでの間、前後三回にわたつて便所に出かけ、その三回目に胎児を分娩し、分娩と同時に胎児は便槽内に落下し間もなく溺死している。この経過自体に徴し、もしかすると、被告人は腹痛を覚えはじめた当初またはその直後ころから、それが陣痛であることに気づくとともに、出産の差し迫つていることについてもこれを予測ないし洞察し、当初から便槽内に産みおとすつもりで三回にわたつて便所に出かけ、三回目に漸くその目的を達しえたのでないか、このように疑う余地がないでもない。しかし、本件全記録を精査してみても、被告人において右腹痛を覚えはじめた当初又はその直後ころから、これを陣痛と考えていたと認めるに足りる的確な証拠はないし、況んや分娩が右のように切迫していることの予測ないし洞察をしていたと認めるに足りるような証拠は全く存在しない。なお、この点について若干の証拠説明を加えると次のとおりである。

まず、被告人が日頃からしばしば便秘による痛みを経験していたことは証拠上疑いないようである。ただ分娩当日の腹痛と便秘による痛みとの間に相異があつたかどうかであるが、前掲鑑定人菊川寛、鑑定人錫谷徹の各供述によつても、陣痛と便秘による痛みとの間には痛み自体として区別されるものはなく、ただ陣痛の場合には、通常規則正しく、かつ次第に短かくなる間けつ的な発作として現われるので、この点で便秘痛と区別されうるというのである。しかし本件で三回目便所にゆくまでの間に被告人を襲つた陣痛が果たしてどれほど通常の様相を備えていたか、換言すれば、どれほど規則正しい間けつ性を示していたか、本件証拠上明確ではない。被告人は公判廷で、当日の痛みについて、少しづつ痛みの間隔が短かくなつてゆく感じであつたと述べているが、それがどの程度顕著な特徴を示していたか必ずしも明らかでない。本件分娩の経過自体が著しく異常なものであつたのと同様に、被告人の当日経験した陣痛の発作も著しく異常なものであつた可能性は多分にあるといわなければならない。痛みの強さの点でも、三回目便所にゆくまでの間に生じた陣痛は、それ以後のいわゆる娩出期の陣痛と異なり、大いに微弱なものであつて、日頃の便秘痛と大差ないものであつたということも十分ありえたと思われる(少なくとも、この点についてかれこれの間に顕著な相異があつたという証拠はない)。さらに鑑定人菊川寛の供述によると、妊産婦は分娩前、実際に排便しうる状態でない場合でもいわゆる「裏急後重」の症状を呈し、疼痛を伴つたしつような便意を催すことがあり、本件においても被告人を問診した結果、このような症状から被告人は三回にわたつて便所に行つたものと思われるというのであるから、このような便意の症状も陣痛と便秘痛との判別をあいまいにさせたように思われる。当裁判所としては、前述のとおり、被告人が公判廷でいうように右腹痛を終始便秘痛とのみ思いつづけていたというのは、不自然であり、少くとも三回目便所にゆく時点ころには、陣痛の疑い程度のものは有していたように思うのであるが、それとともに、やはりそれが便秘による痛みであり、排便をすればこれから免れうるという考えもついに払拭しえなかつたというのが真相に近いように思うのである。この点に関する被告人の検察官に対する供述調書中の供述記載もこの趣旨に理解してよいように思われる。要するに被告人が、当日の腹痛を確実に陣痛であると考えていたというまでの証拠はなく、況んや腹痛を覚えはじめた当初又はその直後ころから、これを陣痛にほかならないと考えていたなどとは証拠上とうてい認めることができない。

分娩の切迫性の認識についても、常識として普通知られている分娩の通常の経過によれば、本格的な陣痛の開始から胎児の娩出期の開始まで初産婦ならば一二時間内外、経産婦でも六時間内外、さらに娩出期の開始から娩出の完了まで初産婦で三時間内外、経産婦で一時間内外を要するようである(本件は、娩出の経過自体が異常であつたばかりでなく、陣痛の開始から娩出の完了にいたる分娩の全経過も著しく異常であつたように窺われる)。そうしてみると、仮りに被告人が出産の経過などについてある程度の知識をもつていたとし、かつまた当日夕方からの腹痛を陣痛と認識していたとしてみても、腹痛を覚えはじめてから僅か二時間余りしか経過していない三回目便所にゆく時点ころにおいては、便所に入るや否や出産が開始されるであろうというほど切迫していることの認識を有していたとはどうしても認めることができないし、また、被告人が出産の経過などについて右に述べた程度の知識をも有していなかつたとすれば、なおのこと、被告人には出産の切迫していることについて確実な予測や洞察などなかつたとみるほかないであろう。

被告人が当日三回にわたり便所に行き、三回目に胎児を便槽内に産みおとしたという経過自体から、被告人の殺意を推認することも相当でないといわなければならない。

最後に、念のため、被告人が胎児を便槽内に産み落した後これをそのまま放置したこと自体が不作為による殺人罪にならないかどうかについて一言すると、前に認定した分娩当時における被告人の心身の状態や鑑定人錫谷徹の当公判廷における供述から認められる、新生児の分娩後死亡までの経過時間が最少の場合は数分間にすぎないとみるべき可能性もあるという事実などに照らすと、被告人において分娩後直ちに新生児の救助のため必要適切な行為に出ることを期待しえたかどうか甚だ問題であるばかりでなく、仮りに被告人において、直ちに自ら又は他の家族の協力をえるなどして新生児の救助行為に出たとしても、果たしてこれによつて新生児の死亡の結果を回避し得たかどうかはやはり疑問があるといわなければならないから、分娩後新生児を放置し何ら救護措置をとらなかつたことについて不作為による殺人罪を問擬する余地もないように思われる。

三以上の判断に従えば、結局本件は犯罪の証明不十分というに帰するから、刑事訴訟法三三六条により被告人に対し無罪の言渡をする。

(渡部保夫 田中康郎 宮森輝雄)

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